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沖縄本島の最南端の糸満市に嫁いだがちまい(食いしんぼう)な私が日々の何気ない生活の出来事や育児ネタなどを気楽に綴るホームページです。
沖縄は12世紀ごろになると漁労や狩猟の生活から農耕の生活に移っていって生活している場所も海岸から台地へ移っていったそうです。
そして地域を治める長が出てきて砦のような城(グスク)が築かれたと考えられていたそうですが、城(グスク)はそういう意味だけではないらしいです。
城(グスク)って聞くと沖縄ではそのまんまお城っていうイメージが浮かぶのですが、有力者だけのものではなく、聖地・聖域という意味合いが含まれているものもあるのだとか。
沖縄本島北部の今帰仁城は琉球王国が出来る前の三山時代(北山、中山、南山)、中山との戦いで敗れたものの城の中に聖域があるため参拝する人々の手で守られて今に伝わる世界遺産となったのだそうです。
すごいですね。
教科書がわりに読んでいる「世替わりにみる沖縄の歴史」からすると、どうやら12世紀前後って狩りをして生活していたスタイルから家畜を飼って炭水化物を生産するスタイルに大きく変化したポイント地点のようです。
それによって遊牧する人たちのように移動して生活していくスタイルから定住して生活するスタイルに変化していった様子。
その影響で鎌や鍬などの技術が発達し、血縁の集まりや地域の集まりができて人々がまとまりをもって生活していくためにリーダーやそのためのチームができていったみたいです。
集落ができる始まりのころは、主家(根屋(ニーヤ))の根人(ニーチュ)を中心に和気藹々とまとまっていたのだろうと考えられているそうで、おそらくそれって今で言う親戚の集まり(沖縄本島南部でいう門中(モンチュウ))のようなものだったんじゃないでしょうか。
そして人口が増えるにつれて血縁の集まりや地域の集まりどうしがくっついて大きくなっていって村や国ができていったんじゃないかということらしいです。
そうなると支配する人が出てきますよね。きっと。
その支配者のことを沖縄では按司(アジ)(女性はヲナジャラ)と言うのだそうです。
そして按司(アジ)は住む家を城(グスク)として村が大きければ大きいほど、大きくなればなるほど城(グスク)も大きくなっていったんですね。
金持ちが大きな家に住むみたいなところは同じですね。固定資産税がかからないところが違うのかな。(苦笑)
沖縄って先祖崇拝の文化があるので、そうやってできていった城(グスク)を聖域のように大切にする気持ちがあるのも分かる気がします。
気まぐれに綴った出来事の中から最近のものをリストアップ♪
あまり更新できていないことがバレバレですね。(苦笑)
(-。-;)