大むかしの沖縄も土器を使って生活していた
とても気のとおーくなるぐらい大むかしの7000年ぐらい前、琉球列島にも土器を使って生活していた人々が住んでいたんだそうです。魚や貝やジュゴンを採ったり、イノシシを獲ったりして暮らしていたんだろうと遺跡から出てきた骨で分かってきたんだそうです。
ジュゴンって大むかしの人は食べていたんですね。沖縄本島北部の名護ではイルカを獲って食べていたらしいですから、食べられなくはない・・・のかもしれません。今ではジュゴンは絶滅危惧種ですから大事にしなければいけません。
普天間基地の移設先としてあがっている名護の辺野古の海にはジュゴンが泳いでいるらしいです。基地を作っちゃったりしても大丈夫なのでしょうか。。。
さてさて、6600年ぐらい前から900年(西暦1000年)ぐらい前の間は沖縄貝塚時代と呼ばれていてこの時の人々がウチナーンチュの先祖だと考えられているそうですよ。残念ながら2万年前ぐらいの港川人から沖縄貝塚時代までの1万年ぐらいの間の遺跡が発見されていないのでつながりがはっきりしないんだとか。。。
話題を沖縄貝塚時代に戻して、このころは本土の歴史と比較すると縄文時代・弥生時代・古墳時代・飛鳥時代・奈良時代・平安時代の中ごろまでになるそうです。なんと立派な平城京(西暦710年)、鳴くようぐいす平安京(西暦794年)と小学校で習った記憶がありますが、そのころの沖縄は貝塚時代だったってことですね。
この長い沖縄貝塚時代は、九州の縄文式土器の影響を受けたり、弥生式土器の影響を受けたりと土器や石器などの道具が変化(進化?)していっているので、めやすとして早期・前期・中期・後期の4つに分けているそうです。
沖縄貝塚時代早期
6600年ぐらい前から4000年ぐらい前までの間で、本土では縄文時代の早期、前期、中期ごろの時代になるそうです。海岸沿いの低い平野から多くの遺跡が発見されたので、漁労をして生活していたんだろうと考えられているのだとか。遺跡からは九州の縄文時代前期の曽畑式土器(ソバタシキドキ)と爪形文土器(ツメガタモンドキ)が見つかったそうで、本土の縄文文化が沖縄の島まで及んでいたことがわかったんだそうです。すごい!ですね。飛行機もない時代にどうやって交流していたんでしょう。
沖縄貝塚時代前期
4000年ぐらい前から2800年ぐらい前までの間で、本土では縄文時代の中期、後期ごろの時代になるそうです。遺跡は小高い琉球石灰岩の崖下などに見つかっているので、水のある洞くつや岩かげの中で生活していたんだろうと考えられているんだそうです。ただ、津堅島ではこの時代の竪穴住居(タテアナジュウキョ)が見つかったんだそうです。南九州の縄文時代後期を代表する市来式土器(イチキシキドキ)が発見されていることから奄美や九州との文化交流があったと考えられているそうです。あと、荻堂式土器(オギドウシキドキ)という南の島の色が出ている土器も発見されているそうです。文化交流をしながらも自分たちの文化を築いていたんでしょうか。今の沖縄にも通じるようなものを感じます。。。
沖縄貝塚時代中期
2800年ぐらい前から2200年ぐらい前までの間で、縄文時代の晩期から弥生時代ごろになるそうです。遺跡は台地や丘の平たいところで見つかっているので、生活の場が内陸のひろい台地に移ったと考えられているそうです。魚介類の出土が少なく、炉の跡がある竪穴式住居(タテアナシキジュウキョ)が発見されているので、狩猟と農耕の生活を営んでいたのでは?と考えられているそうですが、農耕で食料を生産していたような遺跡が残念ながら見つかっていないそうです。しかし、骨器、貝器のほかに黒曜石(コクヨウセキ:火山が爆発して溶岩が噴き出したときに冷えて固まったもの)の石鏃(セキゾク)や、鉄鏃(テツゾク)が見つかっているので、弓矢による狩猟が行われていたと考えられているそうです。
沖縄貝塚時代後期
2200年ぐらい前から900年ぐらい前までの間で、弥生時代から平安時代の中ごろまでの時代になるそうです。貝塚時代の中期では生活の場が内陸に移っていましたが、後期の貝塚は海岸の砂丘地で多く発見されているので、ふたたび漁労による生活が営まれていたんだろうと考えられているそうです。この時期の遺跡からは弥生式土器(ヤヨイシキドキ)や銅鏡(ドウキョウ)、銅鏃(ドウゾク)、鉄斧(テップ)といった金属器が発見されているので弥生文化の影響を受けたと考えられるそうですが、不思議なことに弥生文化の特徴である稲作の跡が見つかっていないんだそうです。また、唐(中国)の貨幣である開元通宝(カイゲンツウホウ)が出土しているので中国大陸や南方との交流があったと考えられているそうですよ。逆に、沖縄からはゴホウラ貝やイモ貝などの南海産の大型巻貝が本州へ移入されているんだそうです。沖縄、奄美から九州へもちこまれた貝は腕輪や貝輪として加工されて全国へひろめられたんだそうですよ。そしてこの交易路のことを貝の道と呼んでいるらしく、遠くは北海道までおよんでいるんだそうです。すごいですね。
2013年11月に、港川人が見つかった2万年ぐらい前から土器を使った形跡のある7000年ぐらい前までの空白を埋める重要な手がかりが発見されたと新聞に記事が出ていました。これから新発見!や新事実!が出てくるかもしれいないですね。
2013/01/09 written.
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(-。-;)
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